母に会いました。
約一か月ぶりです。
例によって、
病院の待合室です・・・・。
(ホント、これ何とかならんかな(-_-;))
・・・・・・
母が診察に呼ばれるまでの短い時間でしかないけど、
二人ならんでベンチに座ってね、
最低限の近況報告は出来ました。
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ただね、
面食らったのが母の写真を御守りと一緒に渡されたこと。
・・・・・???
写真?
何の為に?
・・・・・・・・・
母曰く、
”これ(母の写真)を持っていると配達の時に事故に遭わないらしい・・・・・・。
・・・・・・・
・・・・・・・
はい?
自分の写真が交通安全の御守りってこと?
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いや、いや、いや・・・・・、
何を仰っているのでしょうか、
この古希の母は??
思わず母の顔を凝視しましたよ。
母は朗らかに笑っています(#^.^#)
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厚かましいというか、自意識過剰というか。
しばし、絶句したわ(ーー;)
・・・・・・・・・・
何処からそんな発想が出てくるのか、
神経疑うわ。
自分をいったい何だと思っているのよ。
以前から”親は生き神様”と言うのが口癖やったけどね、
そして配達の”無事をよく祈っている”とはいえね、
これは無いわ、これは。
一瞬、新興宗教にでもハマったのか警戒したけど、
流石にそれは無かったよ。
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いずれにせよ、
果物は頂きましたけどね、
写真は丁重に、
しかし、きっぱりと断りました<m(__)m>
長いね、この話も・・・・・。
でも北条を下せばようやく天下統一。
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史実では八王子城が悲惨なんよね。
武士は殆どいずに城内は女子どもと年寄りが大半。
それを撫で斬りにして、
近くの川は三日三晩赤く染まったというね・・・・・。
あまりの残忍さに北条氏政の秀吉を呪う手紙が現存しているほど。
殺しただけでなく、
死体損壊も酷かったらしい(◎_◎;)
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何でそこまで呵責無い攻めやったんかな?
う~ん・・・・、
石高から言えば上杉景勝が差配していたのかね?
でも、
前田利家なら反対しそうやし、
真田昌幸も無益な殺生を忌避すると思うんやけど・・・・・。
小田原征伐で最も後味の悪い戦です🙏